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2010年4月号トロント商工会誌「Trillium リレー随筆」より転載します。トロント日本商工会の会員でトヨタクレジットカナダの森川由章による阪神タイガースへの熱い思いが記されています。(リンクはこちら→
http://www.torontoshokokai.org/trillium/201004/zuihitsu_0410.html)
リレー随筆
「輝く我が名ぞ 阪神タイガース」
トヨタクレジットカナダ 森川 由章
阪神タイガース。
言わずと知れた、日本一有名で、日本一の集客力を誇り、日本一熱狂的なファンを抱え、日本一の球場を本拠地とし、にもかかわらず過去に一度しか日本一になっていない(2リーグ制導入後)、愛すべきプロ野球球団である。関西出身者の6割が阪神ファンとも言われるほど、その弱さに反し関西地方では絶対的な人気を誇るこの阪神タイガースという不思議なチームについて、紹介させていただきたいと思う。
歴史
その歴史は古く、1935年に設立され、翌年の日本プロ野球リーグ開始以降、現在に至るまで全てのシーズンに参加している。“タイガース”の名は、設立時に阪神電鉄社員の公募によって決定されたものである。設立から1960年までは大阪タイガースという球団名であった。
創設から戦後にかけては4度の日本一に輝くなど、人気・実力を伴う強豪チームであったが、1950年の2リーグ分裂後は巨人の後塵を拝し続ける。低迷を抜け出したのは1962年。この年、藤本監督の下、2リーグ分裂後初のリーグ優勝を飾り、翌々1964年にも優勝。日本一は逃したものの、常勝タイガース復活を印象づける。
しかしそれ以降20年に渡り優勝を逃し続け(20年のうち3位以内には12回入っているので、そこまで弱かったわけではない。巨人9連覇の時代である)、次のリーグ優勝は1985年。この年は吉田監督の下、ダイナマイト打線を擁しリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでも西武を破って悲願の日本一を達成する。この年のハイライト、伝説のバックスクリーン三連発は誰もがご存知であろう。
その後、阪神タイガースは低迷期、いや、暗黒時代に突入する。1987年から2001年までの15年間で優勝はおろか3位以内はわずかに1度、最下位になること実に10度と、驚異的なペースで負け続ける。この時代を経験したが故に阪神は弱小球団として世間から強く認知されたのであろう。
近年は、2003年に星野監督・2005年に岡田監督の下で優勝を果たし、それ以外の年でも優勝争いを繰り広げるなど、暗黒時代からは脱却した。
甲子園
阪神タイガースの本拠地は、兵庫県西宮市甲子園町にある阪神甲子園球場である。収容人数は日本の野球場で最大であり、外壁の蔦や銀傘、美しい天然芝、気まぐれな浜風が特徴の、日本一と言っても過言ではない野球場である。高校野球の聖地でもあり、全国の高校球児の目標である夏の選手権大会および春の選抜大会が開催される期間中は、プロ野球の試合は行われない。試合に負けた高校球児が甲子園の土を持ち帰るシーンは春と夏の風物詩と言えよう。また、甲子園ボウル(アメフト大学王者決定戦)の開催地でもある。
甲子園における阪神ファンの応援は世界一とも言われるが、その一体感や大音量は鳥肌が立つほどであり、地鳴りのような歓声は甲子園を揺らし、対戦相手に極度のプレッシャーを与える(但し、時として阪神側へのプレッシャーとなることも)。
ファン
「トラキチ(1985年の流行語大賞銀賞)」という言葉が存在するように、阪神タイガースは、他球団と比べて熱狂的なファンを抱えることでもよく知られている。
既述したように、その応援は世界一と称され、その動員力は12球団ナンバーワンである。甲子園では見渡す限り阪神ファンという光景は当たり前であるし、アウェイでの試合でも阪神ファンが数で圧倒することが多々ある。近年では関西地方のみならず全国的に熱狂的なファンが拡大しており、地域・世代を問わず阪神タイガースに対して強い一体感・愛情を持っている。応援が生活の一部となっているファンも少なくない。
しかしタイガースへの強すぎる愛情が仇となり、過去に問題行動(優勝時の道頓堀への飛び込み、敗戦時の相手球団ファンへの暴行、相手球団選手への誹謗中傷、カーネルサンダースの呪い、等)を度々起こしており、良識あるファンや選手から非難の声があがることもある。
応援スタイルは非常にバリエーション豊かであり、レギュラー選手全員のヒッティングマーチはもちろん、得点シーンやチャンスでの応援、ラッキーセブンのジェット風船や勝利の六甲おろし等、さまざまな趣向が凝らされている。服装も、ユニホームや法被をはじめ、バラエティーに富んだ色とりどりのものが見られる。
阪神ファンにとって『六甲おろし』は、カナダ人にとっての『オーカナダ』に匹敵するほど大切な歌と言っても過言ではない。他の球団歌とは一線を画す、ファンの心を一つにしてくれる伝統の歌である。ちなみに、『六甲おろし』とは単なる通称であり、正式名称は『阪神タイガースの歌』という。
私と阪神タイガース
私が阪神ファンとなったのは必然であった。阪神ファン(イコール、アンチ巨人)であった父は、野球少年の息子がプロ野球中継を見たいと言っているのに、阪神が巨人に負けているときは決して見せてはくれなかったし、私が父に連れられて初めて生でプロ野球を見たのは、真弓の決勝ホームランでタイガースが勝った試合であった。甲子園のある兵庫県で生まれ育った私にとって、阪神タイガースは身近にして最大のヒーローであった。
だが、悲しいかな1980年生まれの私は1985年の日本一をはっきりと覚えていない。私の脳裏に焼きついているのは、上述した暗黒時代の阪神タイガースである。毎年のように最下位争いをし、見るに耐えない惨敗を繰り返し、試合の結果よりも新庄のファッションが話題になる、あの阪神である。それでも何故か私は阪神ファンであることを常に誇りに思い、他チームのファンになりたいと思ったことは一度たりともなかった。
プロ野球である以上、勝つために試合をし、ファンも勝利を望む。そしてことごとく裏切られるにも拘らずファンは去っていかない。弱いが故に1勝の喜びが他球団の何倍にも感じられるのか、阪神に傾注した関西のスポーツ新聞による洗脳なのか、理由は定かでないが、私は他の阪神ファン同様、暗黒時代もタイガースを応援し続けた。
近年の躍進はもちろん喜ばしいことで、18年ぶりの優勝を果たした2003年、黄金時代到来の予感を感じさせてくれた2005年、私は歓喜の涙を堪えることができなかった。また、優勝争いの緊張感を毎年味わえるのはファン冥利に尽きる。しかし私は、再び暗黒時代に戻ってしまうことを恐れながらも心のどこかで、負け犬根性が染み付いた昔のタイガースを懐かしんでいるのである。
余談になるが、私がトロントに赴任して感じたのは、トロントメープルリーフスと阪神タイガースが非常に似通っているということである。弱いが伝統のある名門チームだが昔は強豪であった点、リーグの中で最も熱狂的なファンを有する点、そして負けても負けてもファンが応援してくれるという点において、メープルリーフスはNHLの阪神タイガースと言えるのではないだろうか。
阪神のススメ
ここまで読んでいただいた方は、阪神がどのようなチームかおおむねご理解いただけたかと思う。しかし阪神タイガースの本当の魅力は、やはり現地で応援してこそ理解できるものである。甲子園は別格であるが、他の球場であっても阪神ファンの応援は対戦相手を圧倒する。あの一体感・高揚感のあるお祭り騒ぎを体感し、声を枯らして帰途に着く頃にはあなたも一端の阪神ファンとなっているに違いない。
一度はまるとなかなか抜け出すことのできない、麻薬のような危険を伴う阪神タイガースという世界に足を踏み入れてみてはいかがであろうか。きっとあなたの人生に新たな刺激を与えてくれるはずである。